門前払い

今日部屋の片付けをしてたら、ベットの底がもう壊れかけなことに気づいた。なんとなく、もう私の居場所になる役目を終えようとしてるみたいだな〜って思った。健全な方の人生に近づきたいって思ったりするけど、本当の意味での取り返しはつかないよなって最近すごく思う。卒業式帰りの高校生を見て、あの時何をどう諦めていれば、こういう生活に手が届いていたのか今でも分からなくなってる。学校や家で心無い言葉を当てられたりに耐える事もできなかったし、どんな暴力(精神的にも物理的にも)で自分が育っていっちゃうのか、それに染まって身に付けて慣れていっちゃうのか、分からなくて本当に怖かった。結局周りを変える事もできなかったし、周りには何もないし、どこか行くにも遠いし、だから自分の部屋に居るしかなかった。それなのに、過去の私を問い詰めるみたいに、あの時こうすれば良かったとか、誰かに言われるのも、自分で思っちゃうの全然意味分かんない。でもいつだって、私もそんな風になりたかったって気持ちが出てきちゃって、これからどうやって折り合いつけていけばいいんだろうなってずっと迷ってる。なにもできなかった昔の自分を振りほどくように生きることは、辛くてきっと私にはできないのに前に進もうとしてて、まずそこからおかしいんじゃないかとか。5年かけて本当に少しずつだけど、働いたり、人と話したり、外での姿はどうにか学んできたのに、一気に生活が忙しなく変わって、それがまた崩れたらどうしよう、とか。本当に全部が怖い。あの時は何もせずに居られる部屋があったけど、きっとこの先こんな場所に帰りたいなんて死んでも思わないから、次どうかしちゃったら、どういう選択を自分はとるのか何も分かんなくて。せめて最低限人としての心は持っていたいんですけど、どんな自分が優しかったり厳しかったりするのか、まだ1ミリも把握できない。優しくいたい!鈍くなりたいわけじゃない!何が優しさなのかもよく分からない。馬鹿だから、まだ周りに対して鋭くいたいと思っちゃう、だってつまんない場の空気に私の気持ち乗せてあげられないし、そんなことで譲りたくない、でも優しくありたいとか我儘にもほどがあること思ったりしてる。他人のことを貶したり蔑ろにすることを尖ることだと思ってる人も世の中には沢山いるけど、私は鋭いまま優しくいることだってできるって本当に思ってるんです。でも他人のことなんて結局知れないから、自分がそれを成し遂げて自分に分からせるしかない気がしてる。私が、周りも使ってたし普通だと思ってなんとなく使った言葉が、他人からしたらおかしいとかそれは悪口じゃないのかとか言われる事がたまにあって、そこでもう私はあたたかい人間になることは一生叶わないし、何も誤魔化しきることはできないんだなと思う。それ以前に私の送ってきた生活の中でそう捉えられる以外の言葉を見つけることができなかったことへの悲しさの方が大きかったりするけど。最近、私のことを当たり前のようにちゃんと人間として扱ってくれる人が沢山いて本当に人って案外優しいんだなと思う。本当にそれだけでただ嬉しくなっちゃう。結局こんな風に単純な人間なんだ!そういう人と関わるとなるべく日々を重ねられるだけ重ねようと思わせられる。くたくたになって終わるときは結局終わるんだろうし…。生活の中に惰性で立ち続けたって、それに問いかけずにいたって、私はきっといいはずと思ってるし…。