過去は形を失って

今日は今の私の暮らしをつくった作品がリリースされてちょうど一年だった。全ては思い出せないけど、去年の春は色々とおかしかった。そんな時に本当にたまたま出会った。初めて聴いた時、顔も名前も年齢も何も知らなかったのにこの曲のこと、この人のことは信じて良いんだろうなって思った。 その一瞬のことを私は忘れられないんだと思う。忘れたら駄目なんだと思う。出会った時からずっとずっと私の光なんです。この曲で出会えていなかったら、照らせなかった過去の記憶や未来が沢山ある。これから何度だってそんな光を見て使い古しじゃない感動を繰り返したい。今だってどうしようもなく苦しいけど、それでも私が居ても居なくても変わらないような世の中に居ることをちゃんと自分で選んでいる。出会ってから今までも明日からもずっと私の光。その光に前へ進む道を照らしてもらって私は生きている。これは不安定な日々が終わって救われたってちゃんと思える日が来たとしても、きっと変わらないこと。できるだけずっとそのあたたかさを感じていたいです。

無重力

怒りとかでもない、ただ感情が抑えられなくなった時に、周りが見えなくなって誰の声も優しさも思い出せなくて届かない場所に取り残されてしまうような気持ちになるのが怖い。擦り切れるまで憎んだ人間たちが私に向けた悪意や冒涜が、いつの間にか自我になっていて自分自身への殺意になっていて、その殺意にいつだって負けている。くだらなくてしょうもなくて仕方ない。鏡に映る人間に、本当に私の心が宿ってるのかもよく分からなくて、毎日がいつかもう取り返しのつかないと後悔するような日々なんだろうなって他人事みたいに考えてる。今だって寿命が消え続けてるなんて、本当に知らないまま呆けながら生きてて、10分後に死ぬかもしれないのに、どんな気分で迎えるかも分からない知らない朝を目指してどうにかなりそうなんです。誰もいないから、誰の声を聴こえないから。忙しなさの間に孤独が流れていって忘れて、虚しさが蒸し返した時にそんな東京の空気を心底軽蔑してるように振る舞ったって誰にも見つからない。孤独ってさみしいこともうれしいことも教える相手が居ないことを言うんだね。結局人間なんて誰だってそんなもんだなんて誰にも言われたくない。みんな辛いなんて言葉で誰もの失望を均して蓋をして終わらせるようなことはあってはだめなのに、そんな言葉が有り触れてることがやるせない。

つかめない

自分の性質を知られることや過去を掘り下げられることが怖くて何も話せない。必要最低限の会話は勿論するけど、それ以上尽くしたらまたおかしくなる。移動や昼休みはずっと1人。それが私が今までかけて学んだ、私なりのクラスメイトとのちょうど良い距離感だった。他人から見たらおかしいんだと思う。私はこれしかできない。私がどんな風に屑な奴か知られるよりかは、なんかよく知らないけど変なやつ、みたいなポジションの方が幾分か楽なんです。相手のことを知るのも怖い。私が持っていないものを見せつけられた瞬間の鈍さが苦痛。家庭青春友人恋人愛嬌どれも私には無くて、目の当たりにした時の泣きそうになるほどの情けなさを感じたくない。ずっと逃げてる。もっと私は人と話したい、でも大して知りもしない相手と浅いところでの共鳴をしても、きっと何も報われないんだろうね。そういうのって解決が目的じゃないのかもしれないし、打ち明けたこと自体が解決みたいなものなのかな。分からないけどね。このまま何にもならないんだろうなと思う。色々な人を見て、こうはなりたくないって思い続けていたら何にもなろうと思えなかった。やり切れるようなことも打ち込めるようなことも特技も長所も無い。誰もがいつだって大好きな“本物と偽物の線引き”の中じゃ、私は生まれてから死ぬまで偽物。いつまでも偽物の不安と偽物の苦しさを抱えたままなんてつらすぎるね。刹那的な終わりを選んだら、少しは今までのどうしようもない人生も鮮烈に見えますか、その鮮烈さがあったら誰かの中では本物になれるんですか、死んでも尚ひかり続ける本質なんて私には無いから、そんなことも知られないで消え失せて忘れられちゃうか。

経験値

今日は朝起き上がれなくなって午前の授業を全部飛ばした。こういうことで昔と何も変われてなんてないことがどんどん浮き彫りになっていくのが本当に怖い。わざわざ丁寧に思い出して比べる必要もないくらい、変われてないことが身に染みて分かった。みんなが惰性でやっているような行動を惰性にできないのことがものすごく辛いのに、その辛さから私はずっと抜け出せてない。そういった毎日を話す人なんて私には居ないから、持ってきた人形たちに打ち明けて、我に返ってまた落ち込む。イマジナリーフレンドでもなんでもないただの人形。返事なんてしないし心もないから何でも話せるだけ。そういうことをしてると、多摩に住んでた時にポストにいっぱい可愛いシールが貼ってある部屋の女の人の昼夜問わない発狂を聞いて、怖いとか可哀想とかよりも先に自分もこうなるのかもしれないんだよなって、叫び声聞きながら考えてたことを思い出す。いつかああなるのかな。結局変われてない。私が私のままでいて良いわけないのに。何なのかわかんない。私はずっと誰かと話したいだけだったよ。確かに芯がある言葉もすっからかんのまま言って良い言葉も全部誰かと話したい。でも無理。どれが私にとっての正解なのかが全然分からない。今日もきっとこの先まで振り返って気にするような言葉が増えた。これまでの何が最善だったのか、最善なんて言葉も使わずにいられたのか。もう手につけられないほど何もかもが辛くなる前に、全部自分のせいって言い切るような無責任な方を選んだっていい?

門前払い

今日部屋の片付けをしてたら、ベットの底がもう壊れかけなことに気づいた。なんとなく、もう私の居場所になる役目を終えようとしてるみたいだな〜って思った。健全な方の人生に近づきたいって思ったりするけど、本当の意味での取り返しはつかないよなって最近すごく思う。卒業式帰りの高校生を見て、あの時何をどう諦めていれば、こういう生活に手が届いていたのか今でも分からなくなってる。学校や家で心無い言葉を当てられたりに耐える事もできなかったし、どんな暴力(精神的にも物理的にも)で自分が育っていっちゃうのか、それに染まって身に付けて慣れていっちゃうのか、分からなくて本当に怖かった。結局周りを変える事もできなかったし、周りには何もないし、どこか行くにも遠いし、だから自分の部屋に居るしかなかった。それなのに、過去の私を問い詰めるみたいに、あの時こうすれば良かったとか、誰かに言われるのも、自分で思っちゃうの全然意味分かんない。でもいつだって、私もそんな風になりたかったって気持ちが出てきちゃって、これからどうやって折り合いつけていけばいいんだろうなってずっと迷ってる。なにもできなかった昔の自分を振りほどくように生きることは、辛くてきっと私にはできないのに前に進もうとしてて、まずそこからおかしいんじゃないかとか。5年かけて本当に少しずつだけど、働いたり、人と話したり、外での姿はどうにか学んできたのに、一気に生活が忙しなく変わって、それがまた崩れたらどうしよう、とか。本当に全部が怖い。あの時は何もせずに居られる部屋があったけど、きっとこの先こんな場所に帰りたいなんて死んでも思わないから、次どうかしちゃったら、どういう選択を自分はとるのか何も分かんなくて。せめて最低限人としての心は持っていたいんですけど、どんな自分が優しかったり厳しかったりするのか、まだ1ミリも把握できない。優しくいたい!鈍くなりたいわけじゃない!何が優しさなのかもよく分からない。馬鹿だから、まだ周りに対して鋭くいたいと思っちゃう、だってつまんない場の空気に私の気持ち乗せてあげられないし、そんなことで譲りたくない、でも優しくありたいとか我儘にもほどがあること思ったりしてる。他人のことを貶したり蔑ろにすることを尖ることだと思ってる人も世の中には沢山いるけど、私は鋭いまま優しくいることだってできるって本当に思ってるんです。でも他人のことなんて結局知れないから、自分がそれを成し遂げて自分に分からせるしかない気がしてる。私が、周りも使ってたし普通だと思ってなんとなく使った言葉が、他人からしたらおかしいとかそれは悪口じゃないのかとか言われる事がたまにあって、そこでもう私はあたたかい人間になることは一生叶わないし、何も誤魔化しきることはできないんだなと思う。それ以前に私の送ってきた生活の中でそう捉えられる以外の言葉を見つけることができなかったことへの悲しさの方が大きかったりするけど。最近、私のことを当たり前のようにちゃんと人間として扱ってくれる人が沢山いて本当に人って案外優しいんだなと思う。本当にそれだけでただ嬉しくなっちゃう。結局こんな風に単純な人間なんだ!そういう人と関わるとなるべく日々を重ねられるだけ重ねようと思わせられる。くたくたになって終わるときは結局終わるんだろうし…。生活の中に惰性で立ち続けたって、それに問いかけずにいたって、私はきっといいはずと思ってるし…。